何かの価値判断をする時、その基準はどこに置かれているだろうか
両親や先生や友達、学校や会社・・・
色々な場所で色々な人と関わるなかで、いつの間にか
彼らの求める枠組みに合わせるようになってはいないだろうか
自分がどう思われるか、どんな評価を得ることになるのか
和を乱したと言われたり、仲間外れにされたりしないよう
集団からはみ出すことのないように
枠組みにおさまる形に自分を変えてはいないだろうか
それを繰り返すうちに
少しずつ何も考えず、自動的に、無意識のうちに
自分の形を変えて枠組みにおさまれるようになってくる
安心して集団の中に埋没出来るようになってなる
でも、そんな姿を第三者の目で客観的に見てみたらどうだろう
今いる場所から飛び出したことを想像して
上空からその集団の様子を眺めてみたらどうだろう
集団の中にいる自分はどんな風に見えるだろうか
笑顔で楽しそうにしているだろうか
無表情で没個性になってはいないだろうか
周囲の評価を気にしたり、何か/誰か/自分自身に怒りを感じたり
嫉妬や憎しみやそのほかの負の感情を抱えて見えるなら
自分の形を変えて集団の枠組みにおさまる意味があるのだろうか
集団として求められるなかで
自動的に同じ発言、同じ行動をするようになる
あるいは、同じ言動が出来なくて悩んだり苦しんだりする
誰かに認められたいと思い、他人と自分を比較していく
誰かの価値判断を基準として、そこに合わせようとする
誰かの基準だと自分が思っていることと、自分の現実のギャップに気づいて
自信を失ったり挫折感をもったり、嫉妬心や怒り、憎しみなど様々な感情にとらわれてしまう
それは、自分の人生の価値判断の基準を他人に委ねてしまっているため
しかも、自分ではコントロールも出来ない誰かの基準に
委ねてしまったために生じる現象なのです
大切なのは、価値判断の基準を誰にも渡さないこと
自分にとって大切なことは、自分で判断すること
みんなと違うところに個性があり、価値が生まれている
そのことを自分自身が認めてあげること
みんな違ってみんな素晴らしい
心からそう思えたら、あなたの人生は変わります
だから、自分の人生の舵は、常に自分で握っていきましょう
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