今日は信用力の大切さについて感じるところを書いてみたいと思います。
私はコーチとして独立するまで、20年以上にわたり、企業の信用力を分析する仕事に従事していました。いわゆる、アナリスト、ファンドマネージャーと呼ばれる仕事です。
ある企業に融資した場合、期日までにきちんと元利金を返済出来るのか(返済する意志と能力があるのか)、その企業が発行した債券を保有することでリターンをあげられるのか、等について見極めるため、投資先となる企業の信用力(≒倒産可能性)を分析していました。
分析の際には、過去に発行された有価証券報告書やアニュアルレポートをはじめとする各種情報を収集、10年以上にわたる財務指標の推移などを確認していきます。需給や競争状況などの市場分析に加え、政府の方針、規制の影響、景気や為替の動向といったマクロ分析も欠かせません。さらに重要となるのは、経営方針や理念、ビジネスモデル、社風、経営陣のコミュニケーション能力、危機対応能力など、今後のシナリオを予測し、将来キャッシュフローを見極める上で必須となる定性的な情報です。
経営者や各部門の責任者など様々な方のお話を伺い、競合他社の方の説明などとも照らし合わせながら、分析対象である企業の収益力、財務構成がどのように推移していくかを予測、投資判断につなげていました。
信用力は企業だけではなく、個人にも付随します。私達は日々、家族や友人、職場の同僚など様々な人と交流しています。例えば、意見が食い違う場面で相手を論破してスッキリしたと感じたり、他のことを優先して以前からの約束を反故にしてしまったことはないでしょうか。その場ではうまく対処出来たと感じたかもしれません。でも、お相手はどう感じていたでしょうか。どたキャンばかりする人、貸したものを返してくれない人、自分の意見ばかり主張する人。約束をきちんと守る人、周囲への気遣いが出来る人、困った時に手を差し伸べてくれる人。その瞬間の小さな出来事の積み重ねが、その人の信用力に直結していきます。
そして、信用力が悪化した企業に手を差し伸べる投資家がいないように、個人としての信用力を悪化させてしまったら、肩書きや地位や経歴やその他諸々がどんなに輝いて見えるようなものだったとしても、人の心は離れてしまうのです。表面的な付き合いは続くかもしれませんが、信用できない人に何か大切なことを任せたり一緒に手掛けていこうとは思わなくなりますよね。
近視眼的に「今」だけを見て、そこで得をしたとか勝ったとか考えずに、もう少しだけ広い視野で誰かの立場に立って行動してみてもいいかもしれません。英語で言う「in someone's shoe(誰かの立場に身を置いて)」といったイメージでしょうか。