小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯

NHK連続テレビ小説「あさが来た」の原案本となった、「小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯」。

 

友達が誕生日に贈ってくれた。テレビドラマがまた終わっていないだけに、先に読んでしまっていいものか、かなり逡巡した。・・・が、結局読み始めてしまい、面白すぎて止まらなくなってしまった(^^;)。

 

いやはや、広岡浅子の生き様がすごい。嫁ぎ先の両替商加島屋を盛り立て、石炭事業や大同生命の設立も手掛け、日本初となる女子大学校(日本女子大学)の創立にも携わった彼女。「七転八起」ならぬ「九転十起」を掲げて、女性実業家として大成していく様子が凄すぎる。

 

(以下、ネタバレにご注意ください)

女性の地位が低く、学業や職業における選択の自由が無い時代。金銭的に余裕のある男性が正妻のほかにいわゆる妾を抱えることがまだ許されていた頃。浅子自身も、自らの世話役であった小藤と夫・信五郎が男女の仲になり、子供をつくることを許していた。(浅子の場合は、自らが事業に没頭するなか、信五郎の面倒を十分に見ることが出来ないために、小藤との関係を許したのかもしれないが・・・。)そんな時代に女性実業家として活躍し、政財界の大物たちとも対等に渡り歩いていた彼女。私利私欲ではなく、女性や社会全体に対してより大きな視点から動いていた様子に感じ入るばかりだった。

 

小説のなかに、彼女の生き方を代表するような箇所があった。曰く、『真我と小我といったものについて触れてみたい。人はともすれば自分の小さな考えに固執し、大局を忘れがちである。これが小我を基準とした生き方である。しかし人間の個々の小さな我を超えた、もっと大きな普遍的真理とでもいうべきものがある。これが真我である。小我にとらわれず、真我に基準を置いていった時、その人の生き方には行きづまりがなくなる。』と。また、若かりし頃の市川房枝とのやりとりの中でも、真我について触れている。『女はともすれば小さな自分の我にこだわって、大きな視野からものを見ることを忘れる。浅子は、自分が雑誌に書いた、真我ということについて房枝に話した。エゴを克服して、もっと大きな真実なるもの、普遍なるものに近づいた生き方ができぬものかどうか。「環境が悪い、条件が悪いいうて不満いうたかて、人間大きゅうはならん。自分を深めるためには、悪い条件の中でうんと苦労することや」』

 

広岡浅子、恐るべし。本当に凄い人である。ドラマと小説では少し差異があるため、どこに違いがあるか、何故変えているのかなど考えながら読んでみるのもまた面白い。オススメの一冊!!