手帳を整理していたら、2013年5月13日付の日本経済新聞「私の履歴書⑫」の切り抜きが出てきた。
改めて、読み返してみる。岡本綾子さんが、プロ3年目の1978年1月に行われた米ツアー予選会で落選した経験について書かれている。あれだけの偉業を成し遂げた岡本さんが予選で落選したこと、その経験を乗り越えて自分と向き合ったこと。自分で勝手に心理的な壁をつくっていたこと、自分の中にある弱さが最大の敵であると気付いたこと。自分の力を引き出す方法を見出したことなどが記されていた。今読み返しても、とても参考になる。
以下、私の履歴書から一部抜粋してみる。
初めて味わう挫折感に打ちひしがれた私は、大阪・箕面のアパートに戻ってもゴルフをせず映画を見たり、街でお酒を飲んだりして遊んでいた。ある日、池田CCの寮生活時代にお世話になった人たちと飲んだ時、先輩キャディーさんに「そろそろ練習した方がいいんじゃない?もうすぐ試合があるでしょ」と言われた。「クラブを握る気がしない」と返したら「何ふざけてたこと言ってるの」としかられた。
1週間ほどぶらぶらしてようやく練習を再開したが、5メートルのパットが100球打ってもカップにかすりもしない。予選会に失敗したショックが尾を引いていたのだろう。しかたがないからパットはやめて、ショットばかり練習していた。コースに出ても、2メートルのパットが入らなかったが、一度決まったらそれまでの不調が嘘のように普通に入り出した。自分で勝手に心理的な壁をつくる、あれがスランプだったのかもしれない。(中略)「よし、ここからがスタートだ」
その後3月まで米ツアーを転戦。4試合目には2度の米ツアー予選会と同じ会場で行われた試合に出て10位に入った。プレー中の開放感たるや。「なぜこんな易しいコースで、縮こまってゴルフをしていたんだろう。やっぱりプロテストには魔物がすんでいるんだ」と思った。予選会とは雲泥の差でパットのラインもしっかり読め、ぼこぼこ入った。日本でも米国でも、私は2度目での合格だった。プロテストでは、私が抱える恐怖心、「びびり」の部分がどっと出た。あれはもう二度と経験したくない。
「びびり」症状はその都度異なる。スタートからドキドキしてクラブが振れなくなることもあれば、バックナインの10番に入った途端、急におかしくなったり、優勝争いをして18番のティーショットでやけに緊張したり。意外に18番のグリーンでは「これで(呪縛から)解放される」と思うと、パットですっと手が動くものだ。行く先に山や谷があると思うと、ドキドキしてくる。自分の中にある弱さが最大の敵だ。私の62勝は、すべてプレッシャーの色が違っている。
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